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令和3年4月10日遍照寺副住職「金花山宝泉寺」へ花見にゆく
令和3年4月10日遍照寺副住職「金花山宝泉寺」へ花見にゆく
広沢山遍照寺副住職が京都支所仲間のよしみで京北の「金花山宝泉寺」さんへ花見に参らせて頂きました。動画内で法泉寺さんの案内をしておりますが「ぶんかくしょうにん」は間違いで「もんがくしょうにん」が正しいです。この場にて訂正させて頂きます。以下、法泉寺さんの案内全文を記載しておきます。金花山宝泉寺の歴史は古く、平安末期の傑僧文覚上人(1139)に依る開創と伝承されています。当時、弘法大師が真言密教の根本道場とされた古刹神護寺(京都市高雄)は、荒廃の極みにあって「人法共に断絶堂屋ことごとく破滅」と云う状況となっていました。文覚上人は直ちに神護寺の再興を発願され勧進僧として歩みますがその道、非常に厳しく、都度三度に亘る流罪に処せられます。しかし後白河上皇や源頼朝の助縁を得て神護寺の再興にその半生をかけ成し遂げられたのであります。この当時、再建された山内に宝泉院と称する塔頭寺院がありましたが、この寺院こそ後日、文覚上人による当山創建の伝承の源となったお寺であります。南北朝時代の延文元年(1356)心蓮上人はこの塔頭寺院であった宝泉院を下熊田村に移し、十一面観音を秘仏の本尊として寺号を宝泉寺と改め開山されました。以来、宝泉寺が病気平癒に格別の霊験のあるお寺として、人々の信仰を集めております。永い歴史を有する当山は、平安時代~鎌倉時代の古写大般若経を始め、甚だ珍重すべき什物など優品が保管されています。毎年7月の土用の日は宝物の虫干しと大般若経祈祷会が行われています。当山は、四季折々の風光に恵まれて信仰と癒しの場として親しまれており、特に4月の桜は見事で天を突く巨大な「京紅しだれ桜」は圧巻です。 宝泉寺は、真言宗総本山仁和寺の末寺として年中行事や教化活動を通じて地域に広く貢献しています。金花山宝泉寺概略宗旨...
動画ID:sm38579991
再生時間:54:28
再生回数:再生回数: 回
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最新のコメント:神仏の皆様ですな。 今の桜のアングル素晴 急に流罪ww なるべく無事故で 弘法様? 行きたいねぇ わかるw 足元注意! ゲリラ読経 丁 チーン 回向文 南無大師遍照金剛
タグ:一般(その他),仏教,金花山宝泉寺