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【ポルトガルの旅】03_シントラ宮殿_2019年5月


【ポルトガルの旅】03_シントラ宮殿_2019年5月

2019年5月上旬、大航海時代の覇者の国ポルトガルに5泊7日で旅行に行きました。1日目に宿泊していたリスボンから電車でシントラに移動し、ペナ宮殿とムーア城を散策した後に昼食を食べました。今回の動画では同じくシントラにあるシントラ宮殿を散策します。シントラ宮殿の元は、イベリア半島を支配していたイスラム教徒の時代に、ムーア人の支配者の居住地となっていたようですが、12世紀、シントラの村はポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケス(のちのポルトガル王アフォンソ1世)によって征服されました。1415年頃から始まったジョアン1世による大改修で、中央中庭のほとんどの建物が建てられ、ファサードの建物、マヌエル様式の中方立て窓、アジメゼスというイスラム建築、厨房の円錐形煙突、白鳥の間・鵲(かささぎ)の間等の多くの部屋が造られたそうです。16世紀には、マヌエル1世が大航海時代で得た富を惜しげもなく注ぎ込み、豪華絢爛な「紋章の間」等が造られました。1584年には、天正遣欧少年使節の伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノの4名の日本人が同宮殿に招かれています。シントラ宮殿のHPの歴史の説明の所にも、同使節が滞在したことが紹介されています。1995年に、「シントラの文化的景観」としてユネスコの世界遺産に周辺の宮殿群や城跡と共に登録されました。外観はシンプルですが、内部には「紋章の間」のように豪華な部屋もあり、ポルトガル王家が15世紀初頭から19世紀後半にかけ住み続けた歴史ある宮殿であることと、何よりも天正遣欧少年使節の4名が訪れた所を見ることができて本当に幸せでした。動画の最後に、ピキリータというお店でシントラ銘菓のトラヴェセイロとケイジャーダを頂き、シントラの街を少しだけ散策しました。※せにょーるひまわっり・せにょ...
動画ID:sm35203314
再生時間:11:15
再生回数:再生回数: 回
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最新のコメント:ポルトガルの名産はワ ムーア人はイベリア半 乙 なにが名産なんだろう けっこうでかい? いい天気 窓がないね ふろ? 綺麗だけど落ち着かな ムーア人ってなんだ? 写真がないから...
タグ:旅行,ポルトガル,シントラ


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