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【神道シリーズ】第40回・両部神道②(伊勢神宮と両部神道の歴史)密教によって伊勢神宮が再興する
【神道シリーズ】第40回・両部神道②(伊勢神宮と両部神道の歴史)密教によって伊勢神宮が再興する
平安時代始めの真言宗開宗(806年)以降、朝廷の信仰は真言宗中心となり、中には真如法親王のように平城天皇の皇太子でありながら皇位継承を拒否し、出家して真言僧となり、インドへの求法の旅へと出て行方不明となった皇族も出るほど皇室はこぞって真言密教の信仰に熱中しましたが、鎌倉時代に入り13世紀の元寇の時代を迎えると、真言宗の主流派は伊勢神宮の内宮(禰宜・荒木田氏)への接近を図り、伊勢神宮を真言密教の理論に当てはめ、内宮を胎蔵界、外宮を金剛界とし、神宮全体を真言密教の大曼荼羅として描くようになります。仏教信仰が盛んだった当時、伊勢神宮でも氏寺で出家得度する伊勢神宮の神職(宮司、禰宜ら)が後を絶たず、こうした背景の中、伊勢神宮の内宮は次第に真言密教の支配下に入って行きます。天照大神を大日如来の化身と位置づけ、真言宗による「神国日本」論を展開し、皇室や伊勢神宮の持つ荘園全体に大きな影響力を広めて行きます。やがて両部神道は伊勢神宮に留まらず、真言宗の学僧、勧進僧、高野聖などを通じて全国の修験道に絶大な影響を与え、古事記や日本書紀に出てくる神々を密教理論の上で解釈を加えた新説を持って地方の信仰対象に比定して行き、密教的な本地垂迹説により日本全国の修験道を塗り替えて行きます。そして、やがて記紀の中では名前の羅列だけだった神々にも「八百万の神」の地方伝承を作って行きます。
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タグ:政治,両部神道,伊勢神宮内宮